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一昨日と昨日は、病院に行ってきました。
一昨日は、お坊さんの病院。例の親知らずの件で、たーちゃんが通っていた病院の口腔外科へ。うーん、やはりこの病院は懐か切ないというか、切な懐かしいです。
診察や検査を待っている間に、たーちゃんを担当して下さっていた看護師やコーディネーターの方や、事務の方と偶然会ったり挨拶したり。
んで、結果。
お坊さんは親知らずを四本抜いて骨も削った方が良いという事になり、今度その大学病院へ入院する事になりました。
……おお……。
と言っても、経過が良好なら2泊3日で退院できる予定で(腫れがひかない場合は、入院期間が延びる事もあるという事)それほど大した事は無いのですが。
それを聞いて、お坊さんは、若干落ちこんでました。まあ若干ですが。しかし、それでも普段落ち込むという事が無い人なので珍しい。
「俺、人生初の入院が親知らず…なんか間抜け…恥ずかしくて人に言えんわ」
「あははー大丈夫だよー私、付き添うし!私、病院の付き添いが趣味だから!安心して!」と慰めておきました。わはは。
付添いも、たーちゃんの入院の時とは違ってこう、気楽ていうかのん気ていうか、切迫感と焦燥感が無いっていうか。安心して出来そうです。
ともあれ、無事に手術と入院が終わって欲しいものです。あんまり痛くないといいなあ。
さて、そして、昨日は私の病院。私は産婦人科に行ってまいりました。ていうのも、子宮頸ガン検診に。
以前検査してから一年ほど経っているし、この間向井亜紀さんの本を読んで色々考えさせられたし、そんなこんなでお坊さんと「健康ってほんと尊いよね…」ていう話をしていたのもあり。
なかなか行くきっかけが無いのでこういう機会に、行ってみるかーと。
今度は反対に、お坊さんが私の検診に付き合ってくれました。
二週間後に検査結果を聞きに行く時に、お医者さんと相談して、子宮頸ガンワクチンも受けた方が良ければ受けようかなーとも思っています。
保険が利かないという事で、費用は高額ですが、私は治らない病気になった人を見ているし、また子宮頸ガンで若くして亡くなった方も見ているので、減らせるリスクは減らしたいなーと思ったのです。
たーちゃんに貰った命を大事にしたいし、いつかもし、幸運にも子供を授かれる機会があるならば、授かりたいとも思っているし。
お坊さんとも相談しましたが、彼も接種に賛成だったので。まあお医者さんの意見も聞きつつ、決めたいと思います。
という訳で、そんなこんなの二日間でありました。ふーくたびれた。二日間、病院行っただけでくたびれるとは、随分ヒヨワになったものだと思います。前なんて病院行かない日のが超珍しかったのに。それが普通だったのに。
人間て、なんでも慣れる生き物ですねえ。
まあしかし、健康が一番です。ほんとに。まじで。
スーパーには冷房がかかってて、お外は夏の匂いがしました。今年初めて感じる夏の匂い。あーこの匂いだよなーとか思いましたよ。
夏が大好きな私にとっては、とても好きな匂い。と同時に、とてもとても切ない匂い。て言うのは、昨年はこの匂いのなかたーちゃんも一緒にいたから。
匂いは記憶や罪悪感を鮮明にさせますね。
それに束の間、眩暈。
でもこれは、私が生きてる限りは一人で持ってないといけないものだから。
まー仕方ないやーと思います。
溢れかえるものをそれなりにコントロールできているような、でも結局出来てないような。
けれどこれも、時間と共に術を見つけることが出来るでしょう。
そこに確かにいたあなたと、あなたの時間と感情。
たーちゃんの携帯にあるメール読むと、やはり泣きます。彼女が使ってたメモ帳を読み返すのと同じで。
でも読まずにはいられない。すると色々思わずにはいられない。泣かずにはいられない。
私にとって、泣くのと書くのって、自分のなかでその事実をゆっくりとでも消化していく作業の一つなのだろな。
ところで、こうやって書いてると、優しい方に心配して頂いたりするのですが、でも私は全然大丈夫なのでお気遣いなくー。ありがとうございます。
愛してる人が無くなったら、悲しいのは当然だし。誰でもだし。
基本的に私は丈夫だし、自分が不幸だともまるで思わないし。それは介護してる時もたーちゃんがいなくなった時もそれを噛み砕いてる今も、まるで変わらず。
むしろ客観的に考えて、恵まれてると思う。
恵まれてると言えば、友達が、「お坊さんのお寺にたーちゃんの名前が書かれるなら、お坊さんの読経が名前を通してたーちゃんに伝わるね」と素敵な言葉をくれました。
おお、それは気付かなかった。けど、確かにそうだなあ。そしてそれは幸せな事だな。毎日毎日、たーちゃんがそれを聞けるなんて。嬉しい。教えてくれて、ありがとうー。
うん、だからそんな風に私は恵まれてるですよ。
ていうかそれを置いといても、そもそも、「自分が不幸ー苦しいー」なんて思うはずも無い。だってたーちゃんは最期までたった一言だって、まるで、そんな事言わなかった。
ともあれ、本当に早くALSの根本的な治療法が見つかる事を、すごく、願います。心から。
(また、症状が口周りから始まるタイプが、一番病気の進行が早いそう)
そんな訳で、たーちゃんは比較的早い段階で喋る事が出来なくってしまい、それからは筆談がコミュニケーションツール。
いつもメモ帳を用意していて、それに日々たくさんの事を書いたのですが、残っているメモ帳は、最後の数冊。
ていうのも、最初のほうはメモ帳を書き終えてしまうと、彼女自身が捨ててしまったので。
(そして私も、残しておきたいなーと思いつつ、残したいとは言えなかった。そんな、いかにも形見みたいで)
最後の数冊は、たーちゃんがもう捨てる事が出来なくっていたので、私がこそっと取っていたのだった。
その数冊を読み返すと、そこには彼女(と私)の時間が凝縮されていて、今でも泣かないで読めないです。(ていうかこれ書いてても、めっちゃ我慢してても泣けてくる。恥ずかしながら)
最近、犬の鳴き声がよく聞こえるねーとか、その時のテレビの話題とか。
はたまたたーちゃんと私のケンカとか。
色んな時間。けど読み返すと、いかにたーちゃんが私に気を使っていたか解ります。
本当にごめんなさい。
と思うけど、心底、はげるぐらい狂うぐらい思うけど、もう今、泣き叫んで謝りたくても、出来ないわけで。
届かないわけで。(いや、もしかしたら届くのかもしれないが、まあ可視では確認できない)
だからまあ、今、自分に出来る事をやるしかないのですね。たーちゃんが喜んでくれるような、幸せになってくれるようなことを。代わりに。(ほんとは代わりになんかならないが、しかしそれしか出来ない)
つーか、泣くなら読み返さきゃいいとも思うのだが、しかし読み返さずにはいられない。そしてこんなにもたーちゃんに気を使わせて、それなのに怒ってた私は、やっぱり鬼だったと思う。まじで。
いつか、泣かないでも読める日が来るのかなー。解んないや。
本当に心臓が、焦げる。溶ける。
野球好きな者として、木村拓也コーチがクモ膜下出血で倒れられたとのニュース、大変に心配です。まだお若いのに…。
けれど、同じクモ膜下出血で倒れ、半身に麻痺が残り、現在入院中で闘病中の私の友達(その人も、とても野球好きな人で)も、31歳。
三十代ってそんな歳なんだなーと改めて思いました。いつ何が起きてもおかしくない歳。
そして私ももう三十路だ。
思えば、53歳で亡くなったたーちゃん。彼女の人生に照らし合わせて考えれば、30歳ってもう折り返し地点をとうに過ぎた歳。
時間を大切にしないとなーとか思いました。切実に。
今は木村コーチ、友達の回復、そしてたーちゃんの冥福を祈るばかりです。それしか出来ない自分が歯痒いけど。
私はあと何回桜を見られるだろう。
それは解んないけど、今年も桜を見られた事にただ感謝。