[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
長門裕之さんの会見をテレビで見かけてふと思うに、この会見て自分が介護した事ある人が見るのとした事無い人が見るんじゃ、抱く印象と感想が全然違うんだろなと。
まあそれは、私の小説やブログもそうなんだけど。
旦那様が若年性痴呆症になられてずっと介護されてた奥さんのインタビューを聞いた時にも、この事は思ったなあ。
介護って綺麗事だけじゃなく醜いだけでも無い、ただただ、現実だから。
いつまで続くかは解らない、続く事を願っているのか願っていないのかも解らない。現実。
野球もフィギュアも気になる今日この頃。
おかげさまでたーちゃんの外泊も無事済みました。
たーちゃんの体調にもドキドキしたし(外泊当日の朝まで、出来るか出来ないかぎりぎりのとこで)(しかも移動中や外泊中に、容態の急変がある可能性が高いと言われ、その際救急隊員の方に渡す手紙まで持っての外泊なのでした)、酸素やお薬や移動やその他の手配も、まあ慣れない事でひやひやものだったのですが、なんとか無事済んだので安心しました。
二ヶ月以上ぶりの家にたーちゃんは嬉しそうで、私も喜んでいる彼女と、たーちゃんがいる家という光景が嬉しくて。
夜は三人で一緒に寝ました。
お天気に恵まれたのもなによりで。寝台タクシーの窓からたーちゃんと共に見た、秋空の青さ。
外泊の後、その疲れも出たのかまたたーちゃんの体調が少し悪くなっているのですが後悔は無いです。
外泊して良かったなー。
おそらく残りの時間はそんなに無いと思うのですが、思ったよりそれを静かに受け止めている自分です。
悲しさと覚悟と安堵は並立するというか、まあ人間は色んな感情と愛情と矛盾を抱えてるもんですね。常にね。
いつもサイトやブログに遊びに来て下さる皆様、メッセージやメール、拍手で励まして下さる方々、本当にありがとうございます。
携帯のメールを打つだけでもたーちゃんにはひどく困難な作業で(指が動かないし息が出来なくなってしまうの)、なので入院してからというもの、たーちゃんは彼女の友達からメールが来ても返信は出来ずにいたんですが、そんな彼女が唯一今もメールを打つ相手。
は、お坊さんです。
お坊さんの仕事が忙しく、病院に顔を出せない日など、いそいそと「会えなくて寂しいです」とメールを打つたーちゃん。
それだけの短文でも私の介助が必要で、打ってる間に苦しくなったりしてしまうのですが。
それでもお坊さんにメールを打つたーちゃん。
先日もそんなたーちゃんの姿を見て、看護師さんがめっさ驚いてはりました。
だよね。
その姿は乙女で可愛くていじらしくて切ないです。
お坊さんがそんなたーちゃんからのメールを大層喜んでくれるのが有り難い限り。
明日の朝、もしたーちゃんの具合が落ち着いているようだったら、外泊してお家に帰る事が出来るようになりました。
と言っても酸素も点滴もおしっこの管もつけたまま、一泊だけの外泊で、帰宅した事で安心して呼吸が止まってしまう事もあるので、何かあったらすぐに救急車を呼んで病院に戻ってきて下さい、と注意を受けての、かなり綱渡り的外泊ではあるんですが、しかしとっても嬉しく、また楽しみです。
家に帰りたい、というのはたーちゃんがずっと言い続けてきた希望なので。
痛み止めのモルヒネも一日分出してもらって外泊ですが、しかしモルヒネなんか触るの初めてなんでドキドキします。
(入院中、他のお薬の投与は私がやっていたのですが、モルヒネだけは看護師さんにお任せだったのでした)やっぱりこれ、なんかの間違いで私が飲んじゃったりしたらラリっちゃうんだろか…。
何の間違いだ。
いや飲まんけど。
手が荒れまくって、出血までするようになってしまいました。がびん。
一日何度も手を洗うのは前からですが、ここまで荒れてしまったのはたーちゃんが入院してから。
どうやら病院に備え付けのハンドソープが強力らしく。(そらそーか)
変わり果てた手に、ヤだなーと思ったり反面、まー自分の選択の結果なんだから仕方ないかーとも思ったり。
とりあえずお坊さんに「ごめんなさいね、こんな手ーした女で」と謝ってみたところ、ほけーっと笑われて「何言っとんのーそんなの殉死ていうか」と返されました。
いや死んでねーし。
「んなら、名誉の負傷じゃん」
そーかー、ならまーいーかー。