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喪失感と。
もうこれ以上彼女は苦しまないでいいんだ、最後の時がいつくるんだろうと、もう怯える事は無いんだという安堵感と。
尽きること無い後悔と罪悪感と。
色んな感情が混じって、今はぼやーとした感じです。
もしそういうものが存在するのだとしたら、たーちゃんの幽霊に会いたいなーと思うが、あいにく霊能力は皆無の私。
とりあえず明日は(日付変わってるからもう今日ですね)、たーちゃんの生前の希望により、病院での病理解剖が。これが、たーちゃんが患った、ALSというまだ解らない事が多い病気の少しでも役に立つと良いのですが。ほんのほんの少しでも。
そして反面、友達からは2人目の子供が生まれたとのとても嬉しい報告が。
タイミングーていうか、多分世の中とはそんなものなのですね。
色々やる事が盛りだくさんなのですが、そうしたものに急き立てられている方が、この莫大な喪失感を切実に感じずには済むのかも。
だから冠婚葬祭って何かと面倒なのかしら。
今まで、たーちゃんに温かいお言葉をかけて下さったたくさんの方々、本当に本当に、ありがとうございました。
そしてたーちゃん、たくさんたくさんありがとう。たくさんたくさんごめんなさい。
病院て、色んな人の色んな時間と人生が交差するとこだよなーと。つくづく思うのですが。
そしてその場所にいると、色んな人と言葉を交わす機会も多い訳で(通常ならば、接しないだろう人達とも)そんななかでは面白い事や、色んな事がありますです。
先日は、入院しているご様子の上品なおじいさまに、毎日毎日付添偉いねえ、と話し掛けられました。
「付き添ってる方は、もう長く入院してみえるの?」
とフレンドリーなおじいさま。
「そうですねえ、三ヶ月になります」
「そう、大変だねえ。入院してるのはお子さん?生まれた時からご病気とか?」
「あっいえ、母なんですよー」
と答えつつ、そうかー私ぐらいの歳で入院の付添ってなると、ノーマルに思いつくのは親じゃなくて子供なんだなーふむふむ。などと思う私。
そういえば私と同じく、付添をしてらっしゃる仲良しのおばあさま(ご主人が入院中で、付添)と話していたら、そのおばあさまのお子さんが、なんと53歳で、たーちゃんと同い年だったのよね。
ほへー。
「まあ、そう~じゃああなたは孫みたいなもんねえ」
と、おばあさまに微笑まれ、わーいと、そのおばあさまに尚更なつく私。(元々、明るく優しいお人柄でとても好きな方だったのだが)
自分にはもう祖父母がいない(お坊さんも同じく)ので嬉しいのです。
しかし、老老介護って、真実に現在の日本ですね。おばあさまが体調崩されないと良いのだけど…。
と思えば、これも先日、朝方、病院のエレベーターで「深谷さん!」と見知らぬ若いあんちゃんに話し掛けられ、「はれー誰だろう?お坊さんの友達か?いや、私の友達の彼氏の誰かか?」と思い、よく見てみたら、病棟の看護士さんなのでした。
白衣着てみえないと、ぱっと見、解らないもんですねー。
こーゆー事があると、人間の他者への認識って面白いもんだなーと思います。どういうとこで区別、判断してるのかとか。
という訳で毎日、自分的に興味深い、細々とした色々な事が起こります。
これを何かに活用出来れば良いなー。
ところで最近、たーちゃんの退院について、主治医の先生とたーちゃんと私とお坊さんで話し合っております。
もちろん具合が良くなっての退院という訳ではなくて、「最期をどこでどういう形で迎えるか」という選択においての退院です。
元々たーちゃんはずっと在宅希望だったし、私もたーちゃんと24時間一緒にいられる方が嬉しいし、そしてなによりたーちゃんの希望を叶えてあげたいし、けれどいざという時在宅で医学知識の無い私では対応出来ないから、そこら辺不安が残るし…という訳で、話し合いです。
色々迷う事もありますが、より良い形を見つけたいもの。
なるべく幸福の多い形を見つけられると良いです。