小説や徒然やALSや。
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朝からニュース見て、ぼとぼと泣いて。ていうのは、そのニュースでALSの患者さんとその介護されるご家族さんの事をやっていたからなのでした。
ALSが体中の筋肉が段々と動かなくなってく病気ってのは、何度も書いた事ですが、それがどんどん進んでくと筆談や眼球運動による意思表示も出来なくなって、自分の意思も感覚もまったく正常にあるのに、それをまるで外部へ伝える事が出来なくなってしまうのです。
思っても感じても、それを一つも誰にも伝えられない。もうずっと。
そうなった患者さんと、そのご家族のドキュメントでした。
たーちゃんの場合は、人工呼吸器をつける、つまり延命治療を選択しなかったから、亡くなる前日ぐらいまで自分の意思を筆談で伝える事は可能でした。
つまり、指や瞳や、体の細部は動く状態だったけれど、呼吸の筋肉が動かなくなって亡くなったので。
ALSになってから、人工呼吸器はつけないってのは、たーちゃんの一貫とした強固な意志でした。たとえどんなに呼吸が出来なくって苦しくても。
(看護師さんは、常に海でおぼれてる状態と言ってらした。24時間)
人工呼吸器をつけるつけないってのは、本人と家族の選択で、どちらが正しいとか間違ってる事は無いと私は思うけど、人工呼吸器をつけたら、たーちゃんはまだ生きていたんだよなー。
たとえ自分の意思を何一つ伝えられない状態になっていても。
そしてたーちゃんが人工呼吸器をつけないって選択したのは、たーちゃんの価値観に基づいてだけど、そこには彼女の、介護する私への配慮があったのは疑う余地は無い。
あ、ちなみに今は、ALSになった患者さんは人工呼吸器をつける事を選択される方が多いそうです。
だから呼吸は機械で保持されて、けれど症状は進むから、上の状態が引き起こされる訳です。
なので、色々思います。泣きました。
たーちゃんに対する私の、ありとあらゆる意味においての罪悪感は一生消えないけど、しかし私も自分がALSになったら人工呼吸器はつけないだろなー。
ていうか、その前に胃ろうもつけるじゃろか。胃ろうなら、まあつけてもいいけど、私の場合やってくれる人もいないしなー。
(たーちゃんの闘病仲間さんには、胃ろうも拒否された方もみえました)
まあどんな選択をしようと、私は後悔するだろうとは、たーちゃんが生きてた頃から思った事だし、お医者さんにも看護師さんにも言っていた事だけど。
せめてたーちゃん自身は、後悔が少なかった事を祈りたい。それは私の勝手な願いだけど。
しかし、普段は全然笑ったり楽しんだり食べたり寝たり出来るのに、ふとしたきっかけがあると感情がセーブできないので困りますー。
まあ仕方ないか。彼女が亡くなってからまだ半年も経ってなく、昨年の春は一緒にお花見していたのだものな。
こんなものでしょう、きっと。ていうか、私が犯した数々の罪を考えれば、今まるで私が元気だったらそれはそれで情け容赦ねーわ、とも思います。はっは。
そう言えばもうすぐお彼岸ですね。
ALSが体中の筋肉が段々と動かなくなってく病気ってのは、何度も書いた事ですが、それがどんどん進んでくと筆談や眼球運動による意思表示も出来なくなって、自分の意思も感覚もまったく正常にあるのに、それをまるで外部へ伝える事が出来なくなってしまうのです。
思っても感じても、それを一つも誰にも伝えられない。もうずっと。
そうなった患者さんと、そのご家族のドキュメントでした。
たーちゃんの場合は、人工呼吸器をつける、つまり延命治療を選択しなかったから、亡くなる前日ぐらいまで自分の意思を筆談で伝える事は可能でした。
つまり、指や瞳や、体の細部は動く状態だったけれど、呼吸の筋肉が動かなくなって亡くなったので。
ALSになってから、人工呼吸器はつけないってのは、たーちゃんの一貫とした強固な意志でした。たとえどんなに呼吸が出来なくって苦しくても。
(看護師さんは、常に海でおぼれてる状態と言ってらした。24時間)
人工呼吸器をつけるつけないってのは、本人と家族の選択で、どちらが正しいとか間違ってる事は無いと私は思うけど、人工呼吸器をつけたら、たーちゃんはまだ生きていたんだよなー。
たとえ自分の意思を何一つ伝えられない状態になっていても。
そしてたーちゃんが人工呼吸器をつけないって選択したのは、たーちゃんの価値観に基づいてだけど、そこには彼女の、介護する私への配慮があったのは疑う余地は無い。
あ、ちなみに今は、ALSになった患者さんは人工呼吸器をつける事を選択される方が多いそうです。
だから呼吸は機械で保持されて、けれど症状は進むから、上の状態が引き起こされる訳です。
なので、色々思います。泣きました。
たーちゃんに対する私の、ありとあらゆる意味においての罪悪感は一生消えないけど、しかし私も自分がALSになったら人工呼吸器はつけないだろなー。
ていうか、その前に胃ろうもつけるじゃろか。胃ろうなら、まあつけてもいいけど、私の場合やってくれる人もいないしなー。
(たーちゃんの闘病仲間さんには、胃ろうも拒否された方もみえました)
まあどんな選択をしようと、私は後悔するだろうとは、たーちゃんが生きてた頃から思った事だし、お医者さんにも看護師さんにも言っていた事だけど。
せめてたーちゃん自身は、後悔が少なかった事を祈りたい。それは私の勝手な願いだけど。
しかし、普段は全然笑ったり楽しんだり食べたり寝たり出来るのに、ふとしたきっかけがあると感情がセーブできないので困りますー。
まあ仕方ないか。彼女が亡くなってからまだ半年も経ってなく、昨年の春は一緒にお花見していたのだものな。
こんなものでしょう、きっと。ていうか、私が犯した数々の罪を考えれば、今まるで私が元気だったらそれはそれで情け容赦ねーわ、とも思います。はっは。
そう言えばもうすぐお彼岸ですね。
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