小説や徒然やALSや。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
昔、私は自分の顔が嫌いでむしろ憎んでいるほどだったのだけれど、今は好きで、何故ならば一番愛した人にひどく似ていて一番愛してる人に好きだと言ってもらえるから、というシンプルな理由なのだけれど。
でもまー、31歳の今、自分の顔好きと思えるなら、まーまーじゃんと思います。まーまー、まーまー。
若い頃嫌いだったからこそ、獲得できたもの学んだ事もあるから。
しかし愛するの反対が、憎んでるでは無く無関心てのは大いなる真実だと思うわ。いや、これは顔だけじゃなく、あらゆる事においてさ。
でもまー、31歳の今、自分の顔好きと思えるなら、まーまーじゃんと思います。まーまー、まーまー。
若い頃嫌いだったからこそ、獲得できたもの学んだ事もあるから。
しかし愛するの反対が、憎んでるでは無く無関心てのは大いなる真実だと思うわ。いや、これは顔だけじゃなく、あらゆる事においてさ。
PR
どんな人でも、とまでは言わないけれど(言えないけれど)、それでもまあ大概の人は良いところも悪いところもあって、叫びだしたいほどの誇りの過去も恥の過去もあって、それが多いか少ないかの話であって、というのは振り返ってみれば明白なのじゃないだろうか。己を。
罪深い私にやれる事はけれどひどく少なくて、そう例えば今、この花に水をやる事ぐらいしか。
『私、○○だから出来ないー』とか『俺、○○だからダメー』とか。
○○に入るのって、頭悪いとか不細工とか性格悪いとか貧乏とか禿げてるとか太ってるとか、まあ要するにネガティブな言葉な訳ですが。
そういう言葉ってたまに聞くものですが、でもそれ聞くたびに、なんかギモンに思う事があって。常々あって。
ていうのも「えー○○でもやってる人なんて幾らでもいるじゃーん」とか、「なら○○でもやれる方法探せばいいんじゃないのー?」とか「つーか、あなた自分が言うほど○○じゃないよ?」とか「ていうかそもそも、なら○○じゃなくなるように努力してみたら?」とか。
そう思う私って冷たいというかイヤなヤツなのでしょうか。
しかし、いや、イヤミで思ってんじゃなくて、純粋なギモンだったのです。
じゃあなんで解決しないのかな???て。
しかもそういう風に言う人って、なんか恥じて言ってる風でも無く(恥じ入ってる風なら、全然解る。誰にだって、どうにも出来ない事はあるし。人間だもの)、居直ってる感じというか、開き直ってる感じというか、そんな気がして。
不思議。
しかし、この間気付いたのは○○って、本当は大した問題では無くて、ただ理由付けに必要なんだという事。
何かをやらない理由を、○○に結びつけると、一応理屈が立つというか。自分が悪いのではなくて、○○が悪い、という事になるから。
それに気付いた時、へーそっかー、ととても納得すると同時に「けっ、くっだらねー」とか思いました。
くっだらねー。
でも、振り返ってみれば、私だって、自分自身そうだしなー。私の場合、「私、運動神経悪いから運動きらーい、しなーい」とか。
いや、ただ単に嫌いで面倒なだけなのにね。そんな理由つけてね。
した方が体にも美容にも心にも良いとは解っていながら、でも出来なくて、そんな自分を見るのがただ単にイヤなだけなのにね。
くっだらねー。
あとは「私、構成力無いから、ストーリーのこみいった話書くの苦手ー」とかもそうかなあ。
気をつけようと思いました。また、誰にでも多かれ少なかれ、そういった部分てあるのだろうけれど、少なくとも自分の大切なところにおいては、そういう変な理屈付けをしないように。
じゃないといつまでも自分の悪いとこ、気付かない。(もしくは気付かないフリをしているうちに麻痺してしまう)それはとても恐ろしいことだ。
○○に入るのって、頭悪いとか不細工とか性格悪いとか貧乏とか禿げてるとか太ってるとか、まあ要するにネガティブな言葉な訳ですが。
そういう言葉ってたまに聞くものですが、でもそれ聞くたびに、なんかギモンに思う事があって。常々あって。
ていうのも「えー○○でもやってる人なんて幾らでもいるじゃーん」とか、「なら○○でもやれる方法探せばいいんじゃないのー?」とか「つーか、あなた自分が言うほど○○じゃないよ?」とか「ていうかそもそも、なら○○じゃなくなるように努力してみたら?」とか。
そう思う私って冷たいというかイヤなヤツなのでしょうか。
しかし、いや、イヤミで思ってんじゃなくて、純粋なギモンだったのです。
じゃあなんで解決しないのかな???て。
しかもそういう風に言う人って、なんか恥じて言ってる風でも無く(恥じ入ってる風なら、全然解る。誰にだって、どうにも出来ない事はあるし。人間だもの)、居直ってる感じというか、開き直ってる感じというか、そんな気がして。
不思議。
しかし、この間気付いたのは○○って、本当は大した問題では無くて、ただ理由付けに必要なんだという事。
何かをやらない理由を、○○に結びつけると、一応理屈が立つというか。自分が悪いのではなくて、○○が悪い、という事になるから。
それに気付いた時、へーそっかー、ととても納得すると同時に「けっ、くっだらねー」とか思いました。
くっだらねー。
でも、振り返ってみれば、私だって、自分自身そうだしなー。私の場合、「私、運動神経悪いから運動きらーい、しなーい」とか。
いや、ただ単に嫌いで面倒なだけなのにね。そんな理由つけてね。
した方が体にも美容にも心にも良いとは解っていながら、でも出来なくて、そんな自分を見るのがただ単にイヤなだけなのにね。
くっだらねー。
あとは「私、構成力無いから、ストーリーのこみいった話書くの苦手ー」とかもそうかなあ。
気をつけようと思いました。また、誰にでも多かれ少なかれ、そういった部分てあるのだろうけれど、少なくとも自分の大切なところにおいては、そういう変な理屈付けをしないように。
じゃないといつまでも自分の悪いとこ、気付かない。(もしくは気付かないフリをしているうちに麻痺してしまう)それはとても恐ろしいことだ。
それぐらいには愛してる。
それぐらいにも愛してる。
それぐらいにも愛してる。