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家中のカーテンを洗って乾しました。それだけでお部屋が明るくなったような、良い感じ。幸せ。
大掃除だけじゃなくて、定期的にやったほうがいいと思いつつ、しかしカーテンの取り外しが面倒で日頃はついつい億劫になってしまいます。
大掃除も、別にやらなくても年は越せるけど、やりはじめるとキリがないし、なかなか際限のないものですねえ。
しかしこれは大掃除だけじゃなく、万物そうか。
そんな風に大掃除やらおせちやら年末年始の番組やらスケジュールなどに日々思いを馳せていたせいか、昨夜はお正月の夢を見てしまいました。
すごく昔のお正月の夢。たーちゃんと父と弟と、コタツに入ってのんびりお正月を過ごしていた時の夢。
途中ではっと目覚めて、「あーもう誰も。だあれもいないー」と妙にウェットで切ない気分になってしまい、すっかり目が覚めてしまいました。
なので、朝、起きたお坊さんに話してみたところ、彼は「でもオマエには俺も、俺のおかんもいるじゃん」と。
そう言ってくれるのは嬉しいし、その思ってくれるのも嬉しいし、確かにお坊さんだけで自分なぞには身に過ぎた幸福だとも解るのだけれど、しかしそれでもお坊さんはあくまでお坊さんであり、そしてお坊さんのお母様はあくまでお坊さんのお母様であり、代わりにはならないんだよなー。
って当たり前ですけどね。
人間、この歳になると「人は失ってから初めてその幸福に気付く」という古から言われてる言葉を、実感として思います。しみじみ。
近くに有る時には、そのありがたみってまるで解んなくて、むしろ鬱陶しいと思ったりするもんだが。
とりあえずこれから作る予定のおせちは、お坊さんのお母様と恒例の交換会をして、そして残りを弟と父のとこに届けようと思います。
面と向かって断られるとショックだから、実家にこそって置いてこようー。手紙でも添えて。(けれど、それに対して向こうからはノーリアクションと予想)
おせちって年に一回しか作れないものだから、楽しみです。わくわく。
可愛いお重が欲しいけど買えないので、タッパーとお皿に乗せて、のおせちですが、それはそれで。
また違った情緒がありますー。
さて、残りの大掃除や準備など頑張らねば。ついつい面倒に思ってしまうのが、わたくしのいけないところ。
そしてお正月を迎えられた時には、素敵な夢が見られますように。
(いや、昨夜見た夢も素敵と言えば素敵だけれども。失った時間の再現という意味で)