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今のたーちゃんを痛々しいと思う私。
そして今の私を痛々しいと言うお坊さん。(ご飯食べながら熟睡してたりするかららしい)(だらしねえな)
ところでそんな私と言えば、今の坊さんの事をこう思います。福々しいと。
…十代の頃、つまりうちらが付き合いはじめた頃より10キロ以上太った坊さんなのでした。
て言ってもそんな太ってる訳じゃないのですが(世間一般でみれば)、自分的には気になる様子なお坊さん。
私はお坊さんが痩せてようが太ってようが、どっちでも全然構わんのですが。
勿論、それは無関心とは反対の意味で。
ところで、たーちゃんが入院する某大学病院のすぐ前には、名古屋では有名な某公園があるのですが、んでその敷地内には何面かのテニスコートがあったりもしてそこはいつも健康的な方々でいっぱいなのですが、しかし朝6時とかでもそのテニスコートって人がかなりいるんですげえなといつも思います。
怠惰なわしにはとても真似できん。
皆さん、会社とか学校の前に、趣味で通われてるんでありましょか。
そんなアグレッシブな方たちの声を聞きながら、病院を抜け出して、喫煙スペースでぼへーと煙草吸ってるわしでした。
この健康と不健康、そして健康と病気の落差がさ。
たーちゃんの手を握ってあげるお坊さん、そのほのぼのした光景を見てると感じる大いなる幸福、そして些細な、というか一ミリぐらいの嫉妬。
しかし嫉妬って私、たーちゃんにしてるのかお坊さんにしてるのか。
…どっちもかも。わははー。
不幸という単語は、ましてや違うし。
献身や苦労や苦痛という単語とも、また違うんだよなー。
だって私には確かに介護を手伝ってくれる他の家族や親戚は一人もいないけど、一人で介護してる人なんか私以外にも世の中にいくらでもいるし。
の上に、私には私以上に優しく介護してくれるお坊さんも、無償に無性に励まし癒し優しくしてくれる、友達とかサイトを通して知り合った方々がいるもんなー。
だからプラマイゼロってゆーか、遥かにプラスってゆーか。
だから最初にあげた単語たちは、あんまり自分には当て嵌まらないと思うんだけど。
なので、「これ」を表現するとするならば、「現実」とかかなあ。
美しくも醜くもない、もしくは美しくも醜くもある、現実。
または「修行」か「愛情」かも。
この介護を現状を、何かの単語で表現するならば。