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切ない。
と、人間が思うのは多分色んなとこで色んな時で、その感じる箇所も人によって様々なんでしょうが、例えば自分がそれを最近よく感じるのはたーちゃんがご飯を食べている時で。
例えば今日も病院の途中で彼女とランチをしたのですが、食べ物やさんで、なるべく柔らかい咀嚼しやすく嚥下しやすいものを頼んでも、たーちゃんはご飯を食べるという事がもう結構大変で。
痩せた、自由に動かない右手をまだ少しは自由に動く左手で支えつつ動かして、食べ物を自由に動かない唇に運んで飲み込んで、でも飲みきれずに咳き込んだり、唇からぽろぽろと食べ物や飲み物やそして多分元気も少しずつ零れて、とゆー所を見るともう堪らなく「切ない」と感じます。
喉の奥と目の奥が痛んで泣きそうになる。
泣きませんけど。むしろ、普段の下らない話などを交わしたりしつつ、お互いに笑ったりしますけど。
でもこうして自分が切ないのは、たーちゃんが大事だからで、そう私が思う事はきっと彼女も嬉しいだろうから、まあだから仕方無いのです。
切ないの代償に、自分は愛情とか幸せとか、考える事とかをいっぱい貰ったので。
この世界に無数にある、ありとあらゆる、色んな形の「切ない」という感情は、いつでも愛情とは繋がってるもんだなー、とか、思います。
て言う事は、切ないとたくさん思える事は幸せだと言うことだ。愛情がいっぱいだから。
ところで、私、小説書く時には「切ない」とか書くのは苦手なんですよねー。なんか、あんまり使いたくない語句で。(自分が使いたくないだけで、他の誰かが使ってるのは気にならない)どーにも照れるってゆーか、他の言葉でそにこある感情を表したくなるのです。
でもブログだと全然平気だから不思議なもんだわ。