小説や徒然やALSや。
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たーちゃんはもう殆ど腕が上がらないので、例えば鞄を肩にかけたりとか、そういう動作も難しいぐらいなので、お風呂で頭を洗うのも不自由で、私が彼女の頭を洗ったりしています。
(けれどそうして改めて目の当たりにして実感するんだけど、人間の体ってありとあらゆる部分が筋肉で構成されていて、ありとあらゆる行動は筋肉の動きで可能になっていて、だからそれが動かないというのはすごく大変な事なんだなと)
で、頭のマッサージなどしつつたーちゃんの頭を洗う訳ですが、そうしてふと思い出すのは、自分が昔たーちゃんに頭を洗っていてもらった時の事。
その私が、今は彼女の頭を洗っている訳で。
それは不思議な感覚。
ふと、「廻る」という単語が頭のなかに浮かびました。
これもまた一つの、「命が廻る」という事なんだなあ、とか思って。
また、コトちゃんやたーちゃんの付添をしている時に、よく思い出すのは亡くなったマサさんの付添をしていた時の事で。
あの時、私は生まれて初めて人の世話をして、その人の食事を作ったり掃除をしたり、オムツを換えたり病院に泊り込んだり、とゆーのを初めてしたので、その分不慣れな事がいっぱいあって、色々後悔もあるんですが、その経験と後悔が、今のコトちゃんとたーちゃんの付添やお世話には確かに生きてるように思うのです。
そういう点で、マサさんの命は、コトちゃんやたーちゃんの命に繋がっているように思って。
だからこれもまた、ある意味「命が廻る」という事なのだと思うんです。個人的に。
まだ若い(くもないか。ははー)時に、それらを経験出来て、実感する事が出来てほんと良かったなあ。
そしてまたコトちゃんやたーちゃんのお世話をした経験は、自分が次の誰かをお世話する時にもきっと生きるんだろう。
(けれどそうして改めて目の当たりにして実感するんだけど、人間の体ってありとあらゆる部分が筋肉で構成されていて、ありとあらゆる行動は筋肉の動きで可能になっていて、だからそれが動かないというのはすごく大変な事なんだなと)
で、頭のマッサージなどしつつたーちゃんの頭を洗う訳ですが、そうしてふと思い出すのは、自分が昔たーちゃんに頭を洗っていてもらった時の事。
その私が、今は彼女の頭を洗っている訳で。
それは不思議な感覚。
ふと、「廻る」という単語が頭のなかに浮かびました。
これもまた一つの、「命が廻る」という事なんだなあ、とか思って。
また、コトちゃんやたーちゃんの付添をしている時に、よく思い出すのは亡くなったマサさんの付添をしていた時の事で。
あの時、私は生まれて初めて人の世話をして、その人の食事を作ったり掃除をしたり、オムツを換えたり病院に泊り込んだり、とゆーのを初めてしたので、その分不慣れな事がいっぱいあって、色々後悔もあるんですが、その経験と後悔が、今のコトちゃんとたーちゃんの付添やお世話には確かに生きてるように思うのです。
そういう点で、マサさんの命は、コトちゃんやたーちゃんの命に繋がっているように思って。
だからこれもまた、ある意味「命が廻る」という事なのだと思うんです。個人的に。
まだ若い(くもないか。ははー)時に、それらを経験出来て、実感する事が出来てほんと良かったなあ。
そしてまたコトちゃんやたーちゃんのお世話をした経験は、自分が次の誰かをお世話する時にもきっと生きるんだろう。
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