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それは今朝、コトちゃんの朝食の付添をしていた時の事。
コトちゃんの食事の介助をしながら、私は少量のバナナに粉薬を混ぜて練り練り。(そうすると粉薬が飲みやすく、誤飲も少なくなるので)
ふとコトちゃんのお部屋を見回してみると、彼女が愛読する雑誌、ラジオ深夜便や週刊文春などに混じって見慣れない冊子が…よく見てみると、イエス様云々と書かれている。
深谷「何これ」
コトちゃん「あーヘルパーさんが置いてったのよー勉強しろって」
ああ。
確かに、コトちゃんのお世話をしてくれているヘルパーさんの方で1人、某新興宗教にすごく熱心な方がいらっしゃって(なにやら、その新興宗教のなかで先生の位置にいるぐらい熱心な方らしい)、こないだはその宗教の関係で外国(ネパールだったか?)に行くぐらいの情熱なのだったけ。
コトちゃん「まー断れないから、とりあえず『はい~♪』って貰っておいたけど、読む気はぜーんぜん無いから、そこら辺に置いといて。一応勉強したフリしとくから。適当に話合わせとくから」
深谷「はー大変だねえ」
コトちゃん「そー大変よー。けど私は宗教嫌いなのよねえ」
と、コトちゃんは全然気にしてない風でカラカラと笑っていたし、そのヘルパーさんも良い人なので(無理やりどうこうするような人では無い)まあ、特に問題は無いのですが。
しかし、コトちゃんみたいに己と我が強くて、また回りに他の人間がいる人だったら、こんな風に断れるけど、気弱で優しくて身近に話せる相手がいないお年寄りだと、こういうのをきっかけで、宗教にはまったりもしちゃうんだろうなあ。
でもそれで、話し相手が出来て孤独から救われる人もいるんだろうし、本人の価値観に照らし合わせてそれが幸せなら、宗教にお金出しても良いんだろうしなー。
と、朝から色々と考える出来事でした。
自分もいつか、何かあったら齢を重ねたら、宗教にはまったりする可能性もあるのだろーか。
うーん、でも自分の性格的にハマる気はあんまりしない。
とか言ってる人に限ってハマるって話もありますが、どうなんだろなー。そーなったら、書く小説も確実に変わりそうだが。(それはそれで面白いのかもしれんが、でも客観的な目が無いと創作って難しいよなあ。)
しかし、自分は何も信心してる宗教って無いのに、身の回りに宗教系の話が多いです。最近特に。
それとも、最近そういう話を聞く事が多いって事は、宗教にハマる人が日本でも着実に増えてるって事なのかしら?