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小説や徒然やALSや。
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亡くなった方のお通夜が昨日、お葬式が本日ありました。

病室ではいつも明るく振舞われていた奥様が、叫ぶように泣かれていた姿に心臓が痛む。
その奥様は、私とそれほど齢が変わらない。その齢で、自分が世界で一番に選んだ大事な人を、世界から喪うってのはどれぐらいの痛みだろう。

自分が、その大事な人を喪う時の事を想像してみた。
でもきっと想像と現実はいつも似ているけれど、それでも違う。


あーでも、私、一回失くした事あるんだよな。自分の選んだ大事な人を。何年も前に。
で、その同じ時にそれまでやってた場所で小説やるのが決定的にダメなんだなーと言うことが解った時だったから、その時の喪失感はたくさんだった。

今まで自分が一番大事にして二つの事が一片に無くなって、ぼんやりした。

そこに在ったのは絶望でも不幸でも無くて、喪失感に伴う穏やかな痛みと、空虚さだった。
「なるほどー、空っぽってゆーのはこーゆー時の事を形容すんだなー」と思った。

でも反面、その空虚さは自由さでもあった。

あーなんか私自由だべーと思った。大切にしていたものが無くなるなんて、好きだと言ってくれたものに憎まれるなんて、世の中にはたくさんあるんだから、だからこそ私は自由でいいんだーと思った。
囚われる必要は無いと思った、世界の何にも。

今までそれらが占めていた場所が空いたんだから、これからまた私は色んなものをそこに置く事が出来るなあ、と思うと少し楽しみなような気がしたし、また、その無くした時に、けれど反対に色んなものも得る事が出来たからそれは自分の血肉になるし、だからイーブンなんだと思った。

(例えば、私が夜中に泣きながら電話したら、翌日会社の入社試験だったというのに、一時間車を運転して来てくれた親友の姿は今も鮮やか)



でもその時、喪失感に自由を重ねたのは、無くした相手がまだ同じ世界で生きてるって知ってたからだ。その人間も、小説も。

だから、それが世界からもういないってのとは決定的に違う。

その痛みは、どんなだろう。

そして、その痛みを相手にあじあわせる事を知っていながら、この世界からいなくなってしまうその人の気持ちはどんなだったろう。



私は祈るしか出来ないけど、亡くなられた方のご冥福と、ご遺族の方のこれからの幸せを祈りました。

しかし、お通夜やお葬式の雰囲気ってのは、なんとも。

マサさんの時の事を思い出し、また、自分がこれから近いうちに体験するかもしれない時の事を想像してしまうな。
あたい、普段映画とかドラマじゃあんまり泣かないのですが(冷血と呼ばれるほどに)こーゆー時はダメなんですよ。堰が切れて、がーがー泣いてしまい、自分でもコントロールが出来ない。




この事についてメッセージを下さった方、本当に有難うございました。お気持ち、すごく嬉しかったです。

ずっと尊敬している方から頂いた二通のメールにまた泣いた私。





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