小説や徒然やALSや。
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私が、コトちゃんの介護をしたりたーちゃんの介護をしたりする事を、何ら申し訳無いとは思ってないし、有難いとも有難うともまったく思ってない。
それらはみんなお前が勝手にやってるだけの事で、お前がやりたくないならやらないでもなんとかなる。
むしろ文句ばっかり言うようなお前のようやつとは早く、金輪際縁が切りたいし、たーちゃんの事が無くなったらマンションからも早く出てけ。
というような事を本日、たーちゃんの旦那から言われました。
(私が今、たーちゃんと2人で暮らしてるマンションはその旦那の所有物でふ)
私が朝、たーちゃんの用事があって、たーちゃんが以前住んでいた家つまりその旦那の家に行った時の事。
その人はたーちゃんの旦那であり、コトちゃんの息子な訳ですが、その人がそういう事を言った訳で、私はびっくりしたというか、世の中には色んな考え方とか脳みその人がいるのだなーと勉強になったです。ふむふむ。
と、それはその言葉を言われて数時間経った今だから思う感想で、言われたその時はウザいようなむかつくような悲しいような悔しいような憎いような、まあそんな色んな負の感情が浮かんできてちょびっとばかし泣いてしまいましたさ。はっは。
とりあえずもうその男とこれ以上話してても仕方無いべーと、「あーそうですか、解りました」と答えてその家を出て、思くそむかついて家の壁を蹴るも、今日に限ってヒールの低い靴を履いてた(雨だったので、そしてちょっと足が痛かったので)ので、後悔しました。
いつもの10センチピンヒール履いてたら、ちょっとは壁も破壊できたかもにと。(←多分ムリです)
世の中なかなかうまくいかないものです。
私は自分なりに自分に出来る事を精一杯、力の限り、やっていたつもりだったけど(コトちゃんの事でも、たーちゃんの事でも)そしてそれは確かにその人の言う通り、私が望んでやってた事だけど、学ぶべき事もすごいあるけど、しかし大変な事だって言わないだけで勿論あるし、それなのに、そこまで言われて今までのようにやるのもなんか虚しいし、阿呆らしいし、疲れたし、もうこのまま荷造りして今すぐマンション出て、お望みどおり縁切ろうかなーとも思ったのですが、しかし、私がそんな事をすれば間違いなく一番被害を被るのはたーちゃんで。
「なんとかなる」とその人は言いますが、その人が介護するわきゃないし、誰かに頼むかもしくは施設探すつもりなのかもだけど、そういう所で私がやっている以上の事をやれる訳無いと、私は自負しているし。
(そして現実問題、ALSの患者さんを受け入れてくれる施設を探すのは大変に難しい)
だもんで、とりあえずはマンション出ていくのは止めにしました。
私が大事なのはたーちゃんだもの。自分の憎しみとかより。
しかし「文句」ねー。文句と言っても、私は自分が正しいと思った事しか言ってないつもりだけど。「たーちゃんに暴言吐かないで」とか「少しはたーちゃんの事思いやってあげて」とか「たーちゃん宛の郵便物勝手に開けないで」とか。そんな。
コトちゃんやたーちゃんの介護手伝ってとも、一言も言ってないのだが。
まあ、でもその人にとってはそれが「文句」なのであろう。人によって取りようは違うもんだ。
たーちゃんの事は最後まできちんとやって、そしてそれが終わったら、お望みどおりマンションも出るしすぱっと縁を切ろう。多分それが互いにとって一番幸福だろう。
という訳で、その家を出た後、もうたーちゃんの病院に直行しなければな時間だったので、お坊さんに送って貰いつつ、事の顛末を話し、するとそれまではもう、「私、どうにかなっちゃう~」というぐらい気持ちが荒んでたのですが、ちょびっと気持ちが回復し、たーちゃんの介護も、今日も笑顔でやる事が出来ました。良かった。
多分私はこんな風に、お坊さんとかたーちゃんとか友達とか先輩とかに恵まれてる分、他の人間関係が多少アレでもバランスは取れてるな。というか、プラマイで考えたらプラスが遥かに多いぐらいなんだと思います。
ところで話を聞いたお坊さん、私を慰めてくれつつ、
「いやーヒールはダメだよ~壊れたら困るじゃん、いや家の壁は壊れてもいんだけど、羊の靴が」
「マンション出るならうちの寺住むか、もしくは部屋借りるなら俺が保証人でも連帯保証人でも連絡先でもなんでもなるけど、でもお前、そんな事しといた後、どっか遠くに逃げないでねー」とか冗談めかして言ってたのですが、しかし何故いつもヤツは私を「どこか誰も知らない遠くへ放浪する」というイメージで話すのかと思います。
自殺するのでも(お坊さんを)騙すとかでも無く。
まあとにかく、私は逃げもしないし騙しもしないですが、これは以前にも書いた事ですが、たーちゃんの事が無くなったら私は身寄りは誰もいなくて、日本のどこにも住んでもいい訳で、それはもうなんて、眩暈がするほど自由なんだろうと思いました。
「いやー俺がそんな状況になるんだったら、不安てゆーか怖いなあ」とお坊さんは言いますが、私は「わー自由だー」となんか力がわくのですよね。
と思う私は、だから多分だいじょぶなんだと思います。
自信過剰かもしれませんが。ははー。
という訳で、なにやら長くなってしまいましたが、そして暗くて大変申し訳無いのですが、そんなこんなの一日でした。今日は病院から早く帰ってこれたので、早めに寝たいと思いますー。
なんとなく、今日は人生に幾つかある、自分の転機となる日な気がしました。落ち込みはしたけど、その分、色んなものから解放されたというか。
29年間の憂鬱がやっとこさ終わったような。
それらはみんなお前が勝手にやってるだけの事で、お前がやりたくないならやらないでもなんとかなる。
むしろ文句ばっかり言うようなお前のようやつとは早く、金輪際縁が切りたいし、たーちゃんの事が無くなったらマンションからも早く出てけ。
というような事を本日、たーちゃんの旦那から言われました。
(私が今、たーちゃんと2人で暮らしてるマンションはその旦那の所有物でふ)
私が朝、たーちゃんの用事があって、たーちゃんが以前住んでいた家つまりその旦那の家に行った時の事。
その人はたーちゃんの旦那であり、コトちゃんの息子な訳ですが、その人がそういう事を言った訳で、私はびっくりしたというか、世の中には色んな考え方とか脳みその人がいるのだなーと勉強になったです。ふむふむ。
と、それはその言葉を言われて数時間経った今だから思う感想で、言われたその時はウザいようなむかつくような悲しいような悔しいような憎いような、まあそんな色んな負の感情が浮かんできてちょびっとばかし泣いてしまいましたさ。はっは。
とりあえずもうその男とこれ以上話してても仕方無いべーと、「あーそうですか、解りました」と答えてその家を出て、思くそむかついて家の壁を蹴るも、今日に限ってヒールの低い靴を履いてた(雨だったので、そしてちょっと足が痛かったので)ので、後悔しました。
いつもの10センチピンヒール履いてたら、ちょっとは壁も破壊できたかもにと。(←多分ムリです)
世の中なかなかうまくいかないものです。
私は自分なりに自分に出来る事を精一杯、力の限り、やっていたつもりだったけど(コトちゃんの事でも、たーちゃんの事でも)そしてそれは確かにその人の言う通り、私が望んでやってた事だけど、学ぶべき事もすごいあるけど、しかし大変な事だって言わないだけで勿論あるし、それなのに、そこまで言われて今までのようにやるのもなんか虚しいし、阿呆らしいし、疲れたし、もうこのまま荷造りして今すぐマンション出て、お望みどおり縁切ろうかなーとも思ったのですが、しかし、私がそんな事をすれば間違いなく一番被害を被るのはたーちゃんで。
「なんとかなる」とその人は言いますが、その人が介護するわきゃないし、誰かに頼むかもしくは施設探すつもりなのかもだけど、そういう所で私がやっている以上の事をやれる訳無いと、私は自負しているし。
(そして現実問題、ALSの患者さんを受け入れてくれる施設を探すのは大変に難しい)
だもんで、とりあえずはマンション出ていくのは止めにしました。
私が大事なのはたーちゃんだもの。自分の憎しみとかより。
しかし「文句」ねー。文句と言っても、私は自分が正しいと思った事しか言ってないつもりだけど。「たーちゃんに暴言吐かないで」とか「少しはたーちゃんの事思いやってあげて」とか「たーちゃん宛の郵便物勝手に開けないで」とか。そんな。
コトちゃんやたーちゃんの介護手伝ってとも、一言も言ってないのだが。
まあ、でもその人にとってはそれが「文句」なのであろう。人によって取りようは違うもんだ。
たーちゃんの事は最後まできちんとやって、そしてそれが終わったら、お望みどおりマンションも出るしすぱっと縁を切ろう。多分それが互いにとって一番幸福だろう。
という訳で、その家を出た後、もうたーちゃんの病院に直行しなければな時間だったので、お坊さんに送って貰いつつ、事の顛末を話し、するとそれまではもう、「私、どうにかなっちゃう~」というぐらい気持ちが荒んでたのですが、ちょびっと気持ちが回復し、たーちゃんの介護も、今日も笑顔でやる事が出来ました。良かった。
多分私はこんな風に、お坊さんとかたーちゃんとか友達とか先輩とかに恵まれてる分、他の人間関係が多少アレでもバランスは取れてるな。というか、プラマイで考えたらプラスが遥かに多いぐらいなんだと思います。
ところで話を聞いたお坊さん、私を慰めてくれつつ、
「いやーヒールはダメだよ~壊れたら困るじゃん、いや家の壁は壊れてもいんだけど、羊の靴が」
「マンション出るならうちの寺住むか、もしくは部屋借りるなら俺が保証人でも連帯保証人でも連絡先でもなんでもなるけど、でもお前、そんな事しといた後、どっか遠くに逃げないでねー」とか冗談めかして言ってたのですが、しかし何故いつもヤツは私を「どこか誰も知らない遠くへ放浪する」というイメージで話すのかと思います。
自殺するのでも(お坊さんを)騙すとかでも無く。
まあとにかく、私は逃げもしないし騙しもしないですが、これは以前にも書いた事ですが、たーちゃんの事が無くなったら私は身寄りは誰もいなくて、日本のどこにも住んでもいい訳で、それはもうなんて、眩暈がするほど自由なんだろうと思いました。
「いやー俺がそんな状況になるんだったら、不安てゆーか怖いなあ」とお坊さんは言いますが、私は「わー自由だー」となんか力がわくのですよね。
と思う私は、だから多分だいじょぶなんだと思います。
自信過剰かもしれませんが。ははー。
という訳で、なにやら長くなってしまいましたが、そして暗くて大変申し訳無いのですが、そんなこんなの一日でした。今日は病院から早く帰ってこれたので、早めに寝たいと思いますー。
なんとなく、今日は人生に幾つかある、自分の転機となる日な気がしました。落ち込みはしたけど、その分、色んなものから解放されたというか。
29年間の憂鬱がやっとこさ終わったような。
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