小説や徒然やALSや。
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たーちゃんがこの家を出て行くと言い始めまして。
というのも、事の始まりは、私がたーちゃんに小言を言ったのが始まりで。
小言というのも些細な事で、かねてからたーちゃんはテレビとかに夢中だと、私が話しかけても何の返事をしない事がしばしばあって、で、私は、話しかけたのに何の返事も無いというのが昔からすごく嫌いで(別にこれはたーちゃんだけでは無く、お坊さんとか、他の人相手でもそうで。とりあえず返事だけはしたほうが良いと思うの)だから、それを気をつけて欲しいなーそうすると私嬉しいから、とただそれだけの話だったのですが。
ただそれだけの話だったはずなのに、話はこじれ、糸はもつれ、感情はもつれ。
私も、そんな事ぐらいで小言を言うのは大人げないのですがね。
(でもそうしたらもっとお互い快適に楽しく暮らせるんじゃないかと思ったんずら)
しかし、もう私が何を言ってもどんだけ謝っても聞き入れてくれず「出て行く、もう世話しなくていい」と頑なに言い張るたーちゃん。
彼女も、私に世話をかけているのをいつも心苦しく思っていて、それがあるもので、余計そんな言葉になってしまうと思うのですが。
そして、自分の体や命の事で誰にもどうにも出来ない苦しみがあって、いつもはそれを我慢しているから、そういう場合にそんなイライラが出てきてしまうのだろうなと思うのですが。
(私以外にぶつける相手もいないし)
しかし、「もーいい!出て行く!私の一番の望みは私が消えていなくなる事なんだから!」と泣いて叫び暴れて、ご飯も食べてくれないし、胃ろうも拒否するし、体の体位を変えようとしても引っかいて拒否するし。
というので、私は困り果ててしまいました。
おろおろ。
とか、今はこんな風に書いてますが、私もその場では泣いてしまうし。
出て行くっても、私の他にたーちゃんの介護する人は誰もいないし、たーちゃん1人で暮らすのは実際に無理だし。
そんな訳で困り果て、命綱のように、仕事中のお坊さんに電話(←迷惑)。
とりあえずお坊さんに話を聞いてもらい、またお坊さんからたーちゃんに話をしてもらって、たーちゃんもちょっと落ち着いてとりあえず胃ろうだけはやらせてくれて、出て行くというのも言わなくなったのですが。
で、今は彼女もテレビ見て笑ってるし、もう気持ちもだいぶ落ち着いたのかなーと思うのですが。
しかしもう彼女に小言めいた事を言うのは止めようと思いました。
そうだよね、彼女も自分の事で精一杯なのだから、これ以上受け止めきれないよね。言った私が大人げなかったです。
しかし普段、私は私なりに頑張ってるつもりだけど、なのに、一言言っただけでこうなるのかーと思うとなんかこー疲れました。
こうして私がやってる事は、お坊さんは判ってくれているし、お坊さんはとても助けてくれているけれど、他の人(たーちゃんの旦那とか弟とか、他の家族とかさ)は誰も知らないしなーんも助けてくれないしー。
まー私は自分で選択した事なんだから、誰に何を言う筋合いでも無いんだけどさー。
でもさー。
朝から晩までずーっとなのにさー。
疲れた。ひたすら。
とかとか、ひたすらマイナス思考とか疲労がつのり、そんな自分をどこか客観的に「そうか、これが介護疲れというものなのかーなるほどー」とも思いました。
で、こういう状況と感情がたまにあるのは介護という場においてまったく普通の事だと思うけど、これが恒常的に続くとノイローゼとかはたまた心中とかになっちゃうのかもなーと。
なるほどー。
人生は日々勉強です。毎日毎日、色んな事を知っていくものね。
(そして『何も知らなかった自分』というのは段々と消えていくのね)
という話をお坊さんにしていたら「いや、俺は自分がやりたくてやってるからいんだけど、つーかお前、ある日いきなり逃亡とかしないでね。いや、逃げてもいんだけど、俺にだけは所在を言ってね。いきなり『今、私博多にいるから』とか言わないでね」と言われました。
逃亡。
確かに私はノイローゼとか心中とかより、逃亡タイプだと自分でも思います。
なんかこー自分の性格的に。
ま、そんな事言ってても、いや、逃げないけどね。あなたたちがいるのはここだから。
という訳な、本日でした。
普段、あんまり愚痴とかは書かないよう気をつけているのですが(プライドと信条として)、暗い記事になってしまいました。スイマセン。
読んで下さった方、有難うございました。ごめんなさい。
というのも、事の始まりは、私がたーちゃんに小言を言ったのが始まりで。
小言というのも些細な事で、かねてからたーちゃんはテレビとかに夢中だと、私が話しかけても何の返事をしない事がしばしばあって、で、私は、話しかけたのに何の返事も無いというのが昔からすごく嫌いで(別にこれはたーちゃんだけでは無く、お坊さんとか、他の人相手でもそうで。とりあえず返事だけはしたほうが良いと思うの)だから、それを気をつけて欲しいなーそうすると私嬉しいから、とただそれだけの話だったのですが。
ただそれだけの話だったはずなのに、話はこじれ、糸はもつれ、感情はもつれ。
私も、そんな事ぐらいで小言を言うのは大人げないのですがね。
(でもそうしたらもっとお互い快適に楽しく暮らせるんじゃないかと思ったんずら)
しかし、もう私が何を言ってもどんだけ謝っても聞き入れてくれず「出て行く、もう世話しなくていい」と頑なに言い張るたーちゃん。
彼女も、私に世話をかけているのをいつも心苦しく思っていて、それがあるもので、余計そんな言葉になってしまうと思うのですが。
そして、自分の体や命の事で誰にもどうにも出来ない苦しみがあって、いつもはそれを我慢しているから、そういう場合にそんなイライラが出てきてしまうのだろうなと思うのですが。
(私以外にぶつける相手もいないし)
しかし、「もーいい!出て行く!私の一番の望みは私が消えていなくなる事なんだから!」と泣いて叫び暴れて、ご飯も食べてくれないし、胃ろうも拒否するし、体の体位を変えようとしても引っかいて拒否するし。
というので、私は困り果ててしまいました。
おろおろ。
とか、今はこんな風に書いてますが、私もその場では泣いてしまうし。
出て行くっても、私の他にたーちゃんの介護する人は誰もいないし、たーちゃん1人で暮らすのは実際に無理だし。
そんな訳で困り果て、命綱のように、仕事中のお坊さんに電話(←迷惑)。
とりあえずお坊さんに話を聞いてもらい、またお坊さんからたーちゃんに話をしてもらって、たーちゃんもちょっと落ち着いてとりあえず胃ろうだけはやらせてくれて、出て行くというのも言わなくなったのですが。
で、今は彼女もテレビ見て笑ってるし、もう気持ちもだいぶ落ち着いたのかなーと思うのですが。
しかしもう彼女に小言めいた事を言うのは止めようと思いました。
そうだよね、彼女も自分の事で精一杯なのだから、これ以上受け止めきれないよね。言った私が大人げなかったです。
しかし普段、私は私なりに頑張ってるつもりだけど、なのに、一言言っただけでこうなるのかーと思うとなんかこー疲れました。
こうして私がやってる事は、お坊さんは判ってくれているし、お坊さんはとても助けてくれているけれど、他の人(たーちゃんの旦那とか弟とか、他の家族とかさ)は誰も知らないしなーんも助けてくれないしー。
まー私は自分で選択した事なんだから、誰に何を言う筋合いでも無いんだけどさー。
でもさー。
朝から晩までずーっとなのにさー。
疲れた。ひたすら。
とかとか、ひたすらマイナス思考とか疲労がつのり、そんな自分をどこか客観的に「そうか、これが介護疲れというものなのかーなるほどー」とも思いました。
で、こういう状況と感情がたまにあるのは介護という場においてまったく普通の事だと思うけど、これが恒常的に続くとノイローゼとかはたまた心中とかになっちゃうのかもなーと。
なるほどー。
人生は日々勉強です。毎日毎日、色んな事を知っていくものね。
(そして『何も知らなかった自分』というのは段々と消えていくのね)
という話をお坊さんにしていたら「いや、俺は自分がやりたくてやってるからいんだけど、つーかお前、ある日いきなり逃亡とかしないでね。いや、逃げてもいんだけど、俺にだけは所在を言ってね。いきなり『今、私博多にいるから』とか言わないでね」と言われました。
逃亡。
確かに私はノイローゼとか心中とかより、逃亡タイプだと自分でも思います。
なんかこー自分の性格的に。
ま、そんな事言ってても、いや、逃げないけどね。あなたたちがいるのはここだから。
という訳な、本日でした。
普段、あんまり愚痴とかは書かないよう気をつけているのですが(プライドと信条として)、暗い記事になってしまいました。スイマセン。
読んで下さった方、有難うございました。ごめんなさい。
たーちゃんやコトちゃんに付き添っていたりすると、やたらと色んな人から「若いのに偉いわねーねー」と言われたりするのですが。それはどう返答していいか困るぐらいに。
でも、若いって言っても(いや大して若くねーべ)さーこれが10年後とか20年後とかのが絶対大変だったと思うわ、私は。
体力的に。(腰とか今だからまだ大丈夫だけど、10年後だったらとってもヤバメ)
それに10年後よりも今のが回復力もあるもんなーきっと、それは体でもそして心でも。
と、他にも、この介護を通して私はすごく色んな事を知ったから、解ったから、学んだから、だからこれが今で良かったとも思います。
10年後とかに知るより、早いうちにそれらを知る事が出来てほんと良かったと。知らないままで時間を過ごしていくより。
介護って教育の場でも小さい頃からふつーに取り入れれば良いのにあ、これから高齢化社会だし、命とはなんぞやとかもすごく解るし、と思うほど私は学ぶべきところが多いのですが、でも考えれば今まではそれは別に教育とかしないでも、三世代同居とかで小さい頃から見ていたものだったのですね。成程。
と、仲の良い人にはそんなあれこれが説明が出来るのですが、大して知らない人にそんな事を言っても仕方が無いので、挨拶のように「偉いわねー」と言われると、「いえいえ、そんなーとんでもないですー」と同じく挨拶のように笑顔で返答する私であります。
そういうものですね。
という訳で、たーちゃんのお昼と胃ろうと、お坊さんのお昼が終わったらコトちゃんの病院に行ってまいりますー。良いお天気なので嬉しいなあ。
しかし未だたーちゃんの入院する日がはっきり決まらないのが困りもの。それが解らないと、色々な予定が立てにくいので早く解ると良いのだが。
一昨日、昨日、そして本日拍手を押して下さった皆様有難うございました♪
でも、若いって言っても(いや大して若くねーべ)さーこれが10年後とか20年後とかのが絶対大変だったと思うわ、私は。
体力的に。(腰とか今だからまだ大丈夫だけど、10年後だったらとってもヤバメ)
それに10年後よりも今のが回復力もあるもんなーきっと、それは体でもそして心でも。
と、他にも、この介護を通して私はすごく色んな事を知ったから、解ったから、学んだから、だからこれが今で良かったとも思います。
10年後とかに知るより、早いうちにそれらを知る事が出来てほんと良かったと。知らないままで時間を過ごしていくより。
介護って教育の場でも小さい頃からふつーに取り入れれば良いのにあ、これから高齢化社会だし、命とはなんぞやとかもすごく解るし、と思うほど私は学ぶべきところが多いのですが、でも考えれば今まではそれは別に教育とかしないでも、三世代同居とかで小さい頃から見ていたものだったのですね。成程。
と、仲の良い人にはそんなあれこれが説明が出来るのですが、大して知らない人にそんな事を言っても仕方が無いので、挨拶のように「偉いわねー」と言われると、「いえいえ、そんなーとんでもないですー」と同じく挨拶のように笑顔で返答する私であります。
そういうものですね。
という訳で、たーちゃんのお昼と胃ろうと、お坊さんのお昼が終わったらコトちゃんの病院に行ってまいりますー。良いお天気なので嬉しいなあ。
しかし未だたーちゃんの入院する日がはっきり決まらないのが困りもの。それが解らないと、色々な予定が立てにくいので早く解ると良いのだが。
一昨日、昨日、そして本日拍手を押して下さった皆様有難うございました♪
