小説や徒然やALSや。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
昨日からまたたーちゃんの通院が始まったのですが。
で、この通院と言うの以前にも書いたように、ALS治験の為の通院で。
たーちゃんが患っている病気、ALSは現在治療法が無い病気で、けれども進行を遅らせる(治す、というのでは無くその病気の進行を遅らせる)目的の為の薬が開発されている段階で、その開発段階のお薬を点滴で打ってもらうための通院なのですが。
この通院というのが、大変と言えば大変で。二週間毎日通院して、その後二週間休んだ後、また二週間通院という日程の繰り返しなので。
そして治験なので、という事はそれは「実験」なので、治験を受けても必ずその薬が投薬されている訳では無いのです。
と言うのも同じ状況下にある患者さんで、治療を受けてる人と受けてない人がいないと比較できないから、実験にならないからさ。
なので点滴を受けてはいても、その中身は本当のお薬と生理用食塩水(偽薬)の場合があって、それは患者やその家族には解らないのです。
だから不自由な体で毎日通院、点滴という苦痛をたーちゃんに与えても、それはただの偽薬かもしれない。(と言っても、一年半に渡る治験のうち、何ヶ月かはどの患者さんも本当の薬を打ってもらえる期間はあるのだが)
また、それが本当の薬であるという幸運に当たっても、それはたーちゃんに何の効果ももたらさないかもしれない(実験中の薬で、また個人差のある病気なのでー)
それを解った上で、たーちゃんと私たちは話し合って、治験を受ける事を選択しました。
私たちが点滴の為に、大学病院に行くと、同じように治験を受けられる事を選択された他の患者さんとそのご家族の方にお会いする事が出来てお話させて頂けるのは楽しみです。
この点滴は、治験の為、受けられる病院は全国でも限られております。
なのでとても遠くから通われている方も、なかにはいらっしゃって。病院に来るのに電車で三時間とか、滋賀県からいらっしゃってる方とか。
(大学病院があるのは愛知県)
私は、その滋賀県からいらっしゃってる方とその奥様とたまにお話させて頂いて、奥様がとても気持ちの良い方だったの嬉しかったのですが。
昨日の点滴の時に、その方たちがいらっしゃらないからどうしたのかなーと思っていたら、なんと治験を受けられるのを止められたとの事。やはり通われるのが大変だという事で。(そのご夫婦には小さいお子さんもいらっしゃったので)
──そうなんだ……。
こないだお話させて頂いた時に、その奥様特に何も仰られていなかったのになあ…。
もう会えないのなら、もっと色んな事をお話させて頂きたかったなあ、とすごく残念に思いつつ(いつだってそういうのは後になって気付くものだ)、けれどその選択をされたらご夫婦が、もう会う事は無いのかもしれないけれど、出来るだけこの後も幸せに過ごしてくだされば良いなあ、と思いました。
もう言えないけど、ありがとう。
そんな風に、選択は色々あって。
例えばALSは、病気が進行すると段々と呼吸が難しくなり人工呼吸器をつけるか否か、という選択も出てくる訳ですが。
人工呼吸器をつければ確実に命は延びるけれど、その分、たーちゃん本人も色々と葛藤があるだろうし(他人に迷惑をかけるのをとかく嫌がる人なので)、また回りの者も、そのサポートを長く続ける事になる訳で。
(人工呼吸器をつける時は、在宅介護が前提でおまふ)
その際は私も色々考えなければならない。
つのも、人工呼吸器をつけての在宅介護は生半可な気持ちじゃ出来ないだろし、例えばそうしてたーちゃんの近くにいる未来を選んだら、私はお坊さんとの未来は無いだろから。それが重なる事は無いだろう。(つか、そこまで坊さんに迷惑はかけられん。)
そして私自身だっていつまでたーちゃんのサポートを出来るかは、よく解らないのだから(病気は遺伝性の場合もあるので)。
だから、いつか遠く無い未来、また「選択」はある訳だけれど、その時はたーちゃんとよく話し合って彼女がより幸せに過ごせる道を選んでそれをサポートしてあげたいなあ、と思います。
自分的にはたーちゃんには人工呼吸器をつけて欲しいけど、でも彼女の意思もあるしなあ。(彼女の性格的に、絶対嫌がるだろーと思われ)
でも、どの選択も、どんな選択をしたってそれを決めるのは他ならぬ自分自身なんだから、一旦決めた後はいつも潔く穏やかでいたいものだと思うでありんす。
自分の決めた場所でグタグタ文句言ったりいたずらに嘆いてみせるのは絶対に嫌だ、わしは。
世界のどんな場所にも、幸福と不幸は混在してるものだから、それが世界の真実なのだから、ならば、その両方を観察して楽しみたい。
そんな感じで、とりあえずそのご夫婦の幸せをひっそりと祈った昨日でありました。
で、この通院と言うの以前にも書いたように、ALS治験の為の通院で。
たーちゃんが患っている病気、ALSは現在治療法が無い病気で、けれども進行を遅らせる(治す、というのでは無くその病気の進行を遅らせる)目的の為の薬が開発されている段階で、その開発段階のお薬を点滴で打ってもらうための通院なのですが。
この通院というのが、大変と言えば大変で。二週間毎日通院して、その後二週間休んだ後、また二週間通院という日程の繰り返しなので。
そして治験なので、という事はそれは「実験」なので、治験を受けても必ずその薬が投薬されている訳では無いのです。
と言うのも同じ状況下にある患者さんで、治療を受けてる人と受けてない人がいないと比較できないから、実験にならないからさ。
なので点滴を受けてはいても、その中身は本当のお薬と生理用食塩水(偽薬)の場合があって、それは患者やその家族には解らないのです。
だから不自由な体で毎日通院、点滴という苦痛をたーちゃんに与えても、それはただの偽薬かもしれない。(と言っても、一年半に渡る治験のうち、何ヶ月かはどの患者さんも本当の薬を打ってもらえる期間はあるのだが)
また、それが本当の薬であるという幸運に当たっても、それはたーちゃんに何の効果ももたらさないかもしれない(実験中の薬で、また個人差のある病気なのでー)
それを解った上で、たーちゃんと私たちは話し合って、治験を受ける事を選択しました。
私たちが点滴の為に、大学病院に行くと、同じように治験を受けられる事を選択された他の患者さんとそのご家族の方にお会いする事が出来てお話させて頂けるのは楽しみです。
この点滴は、治験の為、受けられる病院は全国でも限られております。
なのでとても遠くから通われている方も、なかにはいらっしゃって。病院に来るのに電車で三時間とか、滋賀県からいらっしゃってる方とか。
(大学病院があるのは愛知県)
私は、その滋賀県からいらっしゃってる方とその奥様とたまにお話させて頂いて、奥様がとても気持ちの良い方だったの嬉しかったのですが。
昨日の点滴の時に、その方たちがいらっしゃらないからどうしたのかなーと思っていたら、なんと治験を受けられるのを止められたとの事。やはり通われるのが大変だという事で。(そのご夫婦には小さいお子さんもいらっしゃったので)
──そうなんだ……。
こないだお話させて頂いた時に、その奥様特に何も仰られていなかったのになあ…。
もう会えないのなら、もっと色んな事をお話させて頂きたかったなあ、とすごく残念に思いつつ(いつだってそういうのは後になって気付くものだ)、けれどその選択をされたらご夫婦が、もう会う事は無いのかもしれないけれど、出来るだけこの後も幸せに過ごしてくだされば良いなあ、と思いました。
もう言えないけど、ありがとう。
そんな風に、選択は色々あって。
例えばALSは、病気が進行すると段々と呼吸が難しくなり人工呼吸器をつけるか否か、という選択も出てくる訳ですが。
人工呼吸器をつければ確実に命は延びるけれど、その分、たーちゃん本人も色々と葛藤があるだろうし(他人に迷惑をかけるのをとかく嫌がる人なので)、また回りの者も、そのサポートを長く続ける事になる訳で。
(人工呼吸器をつける時は、在宅介護が前提でおまふ)
その際は私も色々考えなければならない。
つのも、人工呼吸器をつけての在宅介護は生半可な気持ちじゃ出来ないだろし、例えばそうしてたーちゃんの近くにいる未来を選んだら、私はお坊さんとの未来は無いだろから。それが重なる事は無いだろう。(つか、そこまで坊さんに迷惑はかけられん。)
そして私自身だっていつまでたーちゃんのサポートを出来るかは、よく解らないのだから(病気は遺伝性の場合もあるので)。
だから、いつか遠く無い未来、また「選択」はある訳だけれど、その時はたーちゃんとよく話し合って彼女がより幸せに過ごせる道を選んでそれをサポートしてあげたいなあ、と思います。
自分的にはたーちゃんには人工呼吸器をつけて欲しいけど、でも彼女の意思もあるしなあ。(彼女の性格的に、絶対嫌がるだろーと思われ)
でも、どの選択も、どんな選択をしたってそれを決めるのは他ならぬ自分自身なんだから、一旦決めた後はいつも潔く穏やかでいたいものだと思うでありんす。
自分の決めた場所でグタグタ文句言ったりいたずらに嘆いてみせるのは絶対に嫌だ、わしは。
世界のどんな場所にも、幸福と不幸は混在してるものだから、それが世界の真実なのだから、ならば、その両方を観察して楽しみたい。
そんな感じで、とりあえずそのご夫婦の幸せをひっそりと祈った昨日でありました。
PR
この記事にコメントする