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自分の日々の雑務のなかの重要任務の一つには、コトちゃんやたーちゃんのお世話や病院の付添がある訳ですが、自分はなんか『介護』という言葉を使いたくなくて。
なのでいつも私は、お世話と言ったり、付添と言ったりしています。
これはただ自分の感覚なので、そして言葉に対する感覚って人それぞれなので、『介護』という言葉を否定する訳では無く、全く無く、その言葉を使う人を否定している訳でも無く、ただ自分がそうしたくて、そうしていると、ただそれだけの話なのですが、でも人に今の自分の状況を説明しなければならない状況に陥った時、どうしても『お世話』や『付添』という言葉だと解りにくく、また誤解を生みやすいので『介護』という言葉を使ったりすると、なんか負けた気分です。(何に)
なんか介護っていうとこう…、どちらかがどちらかに何かしてあげるという言葉のイメージが(一般的には)あって、それがなんかイヤなんだと思います。私は。きっと。
それが自分にはあてはまらないと思うから。
自分がコトちゃんやターちゃんのお世話をするのは(そして過去、マサさんのお世話をしたのは)、そんな綺麗な意味では全然無いので。全く無いので。
私は、ただ自分のためにやっているだけなので。
だから『お世話』とか『付添』とか『飼い主さん』とか、言いたいのです。明るく。そう、「誰かの介護をしている」とか迂闊にも言っちゃおうものなら、そこになんだか悲愴感漂うイメージがあるので、(世間一般ではね。勿論、そうで無い方もいっぱいいっぱいいらっしゃるでしょう)それもなんだかイヤなのです。
自分は、確かにコトちゃんやマサさんのお世話をしたり、ターちゃんの付添をしたりしているけども、ただ一方的に何かをしてあげてる訳では全く無く、反対に貰うものの方が多いから。
キレイゴトでは全く無くて、本当にそこで貰うもの、勉強になる事のが、多いから。
だからむしろ自分がお世話されてる感じ。なので。
ていうか、自分が何か勉強するために、自分の何かを鍛えるために、こういう一連の出来事はあるのだと思うので。
そうそう、去年今年、そして来年と、こんな事が続いている訳ですが、でもこれもね。うまいタイミングだなーと思うのです。
だって、も少し若い時の自分だとこれはきっとちゃんと受け止める事が出来なかっただろうし、(主に心のパワー的な問題で)、またも少し年を取った時の自分では、同じようにこれも受け止められなかっただろうし。(主に体のパワー的な問題で)
なので、ほんとグッドタイミングだったというか。
自分が今この時期に勉強する『何か』が、きっとここにはあるのだろうと。
なので、来年もこんな感じでタラタラと日々を頑張ろうとか思います。サイトも出来るだけは長く続けたいものだけれど、まあ無理はしない方向で。流れに任せて。
そんな感じです。