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すんごい久しぶりにブログのアクセス解析を見ていたら、検索フレーズで、「ALS」や「人工呼吸器」という言葉でうちのブログへやって来て下さった方がたくさん。
最近特に多くなっているのだけれど、なんでだろう。ドラマの影響なのかしら。(そうそう結局、ドラマは見られませんでした。そのCMで見るだけで心がくるくるしたので、ドラマ見るのは無理だろうと判断)
そっかー嬉しいなあ。色んな方がALSという病気について感心を持って下さるのは嬉しい事です。
たーちゃん(母)の場合は、彼女が元看護師でまた神経内科でも勤めていた為(彼女が亡くなった大学病院は、彼女が働いていた病院でもあり、彼女が入院していた病棟の看護師長さんは彼女の直接の先輩)、そして彼女自身の性格や価値観もあり人工呼吸器をつけないという判断をした訳だけれど、色んな選択があるかと思います。
ALSと診断されてから、その一点はまるで変わらなかったたーちゃん。
たーちゃんの子供である私は、将来ALSになる可能性もある訳だけれど、でも私が発病しても恐らくつけないと思います。ははは、たーちゃんとは性格が似てるのですー。(昔からよく言われる事で、即ち、娘は母の作品と。それって良くも悪くも結構真実)
また、たーちゃんの友達は胃ろうもつけなかったので(たーちゃんは胃ろうはつけました。ラコールをお坊さんと手分けしてせっせと運んだのも、今では麗しき思い出)ほんと色んな道があります。
ところで、今話題の万能細胞。そのニュースを聞いた時、「もしかしたら将来的にその研究成果でALSの治療法が確立されるという事もあるのかも…」と思った患者さんやその身内も多いかと思うので、それはとても光というか救いであったので(たとえそれが藁であってもね)だからねーまあ嘘は良くないですよう。色んな事情があっても。
元から光が無いのと、光を見せられた後に奪われるのは、後者の方が絶望が深いもの。
と、アクセス解析を見ていて色々思った事でした。
しかし日によって、えらいアクセス数が違うのはなにゆえ…。色んな方に読んで頂けるのは嬉しいなー。
一昨日、昨日拍手押して下さった皆様有難うございました。嬉しいです。感謝いたします。
一気に読んでしまい、涙。涙。かなり号泣。むしろ嗚咽。
勿論、ストーリーもさるものながら、そこにある色々な大きな問いかけと、後は大学病院の話なのでどうしてもたーちゃんの事と重なってしまい。ドルミカムとか、使われてる薬も一緒なのだものさー。
読みながら、私はもっとたーちゃんに色々出来たのになあ、とか、たーちゃんともっと話し合えば良かったなあ、とか。結局私は何にも出来なかった。とか。
いつもいつもいつも絶えず絶えず絶えず思う事を、再び思いました。
結局それを思うたび、今更それを思っても過去の事実は変えられないので、私に今出来るのはその過去を経験として生かすこと、深くすることだと、そういう結論に落ち着くのですが。
でも何度でも浮かぶ、罪悪と後悔と問いかけと答えなのです。
そして、ストーリー後半部分、精神科病棟編の、表現とは…?て部分は、その頃作者さんが抱えてた疑問と答えが表されているのだろうなあとも思いました。
新聞社でも出版社でも、通ずるものがあるものね。
しかし読んでたら、すんげー面白いのですが病院行くのが怖くなってしまいましたよー。
(漫画に描かれている事が全てでは無いとわかっていても、それでも)
勿論、病院もお医者さんもそれぞれなのですが。
私は、患者の家族という立場で、色んな病院とお医者さんと看護師さんとあったけれど、そのなかでも色んな方がいました。
お坊さんでも、料理人でも、教師でもサラリーマンでも、良い人とそうでない方がいるみたいに、医療に携わる方でもそれは同じ。
職業としての技量と、人間性は一致しない。それも同じ。
そして人間は環境に慣れてしまうもの。どうしても。
だから、人間性も技術も優れたお医者さんに出会うなんて、結構難しいものなのかもなあ。とか。
だって自分自身がそんな高潔な人間なのかと問われたら、そんな事はまるで無い。
自分はそう在り得ないのに、相手(お医者さん)にだけそれを求めるのも。
けれどそれでも、そんななにもかも含めて、私達は出会ったお医者さんを信じて任せるしかないのだろうなあ。とかとか。
「創作をしているもの」「患者の家族」「そして自分もいつか患者になる身」という色んな立場や視線から読める漫画でありました。
新ブラックジャックによろしくも読みたい…うーん。どうしよう。迷うとこです。漫喫行こうかな。
そういう想いがあるからこそ消えないからこそ。
当日はお坊さんにお墓でお経をあげてもらってたーちゃんのお話をいっぱいして(でも普段からしてるから、そんな大差ないかもだが)、改めてたーちゃんの事を想って。
そして親友から貰った電話だったり、昔から仲良くさせて頂いてる方から貰ったメールだったり、たーちゃんの為にお花を飾って祈ってくださった方のブログ記事を読んだり、そういった一つ一つ全ての事に感謝しました。
有難うございました。
これもたーちゃんの人柄ですね。
人間関係ていつだって永遠に色々あるものですが、しかし私は自分には不釣合いなほど恵まれてるてなあと改めて。
それはたーちゃんとの出会いもだけど、こうしてたーちゃんの一周忌に同じように祈ってくださる方に対しても。
たーちゃんさんの生き方にたくさん教えられた、と言ってくださった方たちの言葉に、本当に救われます。
お言葉かけてくださった方たちには、また改めてお礼を言わせてください。
有難うございました。
私は元気なので大丈夫ですよー。心配してくださる方たちもいるのだけれど。
ていうか、たーちゃんがもう近くにいない事は悲しいし、一年経ってもその喪失感も罪悪感も消えないし、その分たーちゃんを侮辱したり、無下にしたりする人たちを憎んだりもするけれど、それはそれとして、それで体と心の何十パーセントが占められてたとしても、残りの私は不思議と元気なのです。
それは私の事を気遣ってくださる方たちのおかげだし、元々の自分の性格もあるかもだし、そしてそれが今も私が生きてるって事なのでしょう。どうしようもなく。
で、そういう矛盾だったり並立だったり、てのは生きてる限り、全ての人が抱えてるものかと思います。
だから大丈夫ですよー。有難うございますー。
一昨日、昨日、そして本日拍手を押して下さった皆様有難うございました。
以下、拍手お返事です。